トリプトファン

昔から夜寝つけないときには、ホットミルクを飲むと寝つきがよくなるといわれています。 その理由として、牛乳に豊富に含まれるトリプトファンが 脳内でセロトニンという睡眠物質を作る原料であることが挙げられています。 すなわち、セロトニンはメラトニン という睡眠ホルモンの分泌を促すため、心地よい眠りを誘うことができるというものです。 そのことから、トリプトファンを含むサプリメントは「寝つきが悪い」「眠りが浅い」「不安感やイライラがある」 といった睡眠に不安を持つ現代人には気になるアミノ酸です。


■「トリプトファン」とは?

「トリプトファン」(Tryptophan:正確にはL-トリプトファン)は必須アミノ酸の一種で、 側鎖に多種の呈食反応を引き起こすインドール環を持ち、プロリンと同じく複素環式アミノ酸に分類されます。 食品中のトリプトファン含有量を表1に示します。 ゴマ、カシューナッツに多く含まれますが、概して動物性食品から植物性食品まで多くの食品に含まれています。 含有量はたんぱく質1g当たり11~15mg前後と、他のアミノ酸に対して比較的低い値です。 牛乳には100g当たり38mg、たんぱく質1g当たり13mgと、他の食品と比べても多いとはいえません。 したがって、「寝付けないときにホットミルク」の説は、牛乳のトリプトファン含有量とは関係がなさそうです。 寝る前に摂取できるトリプトファン(たんぱく質)源として、手軽で胃に負担をかけない食品という意味かもしれません。 なお、ゼラチンにはトリプトファンが全く含まれていないのが特徴です。


表1:食品中のトリプトファン含有量(mg)
食品名 たんぱく質
(g/100g)
可食部
(100g当たり)
たんぱく質
(1g当たり)
ゴマ 19.8 370 19
カシューナッツ 19.6 360 18
ホウレンソウ(葉・生) 3.3 53 16
鶏卵(全卵) 12.3 190 15
精白米 6.8 99 15
牛サーロイン(脂身なし) 18.4 260 14
大豆(国産)・乾 35.3 490 14
牛乳 2.9 38 13
プロセスチーズ 22.7 290 13
カゼイン 86.2 1,100 13
サツマイモ(生) 1.2 15 13
蕎麦(ソバ)(生) 9.8 120 12
豚ロース肉(脂身なし) 19.7 240 12
鶏もも肉(皮なし) 18.0 210 12
イワシ・マイワシ(生) 19.2 220 11
食パン(市販) 8.4 96 11
本マグロ(生・赤身) 28.3 320 11
真鯛(マダイ)(生) 19.0 210 11
小麦(中力粉) 9.0 99 11
イカ(生) 15.6 120 8
キャベツ(葉・生) 1.4 8 6
ゼラチン 85.5 0 0


■トリプトファンの生体での働き

トリプトファンは、たんぱく質合成の材料になると共に、完全分解されてエネルギーとなります。 一方でニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(NAD)や セロトニン、メラトニンなど、生理活性の高い物質の原料になります。 トリプトファンの体内での代謝はNADの合成に関わるキヌレニン経由と、 トリプトファン5-モノオキシゲナーゼの作用によって5-ヒドロキシトリプトファンを経由し、 セロトニンやメラトニンを生成する2つの経路に大別されます。

セロトニンの90%以上は胃腸管粘膜で生合成された後、門脈血を通じて全身に運搬されます。 セロトニンには強力な平滑筋収縮作用があります。 胃切除後に見られるダンピング症候群は、食物が胃に滞留することなく十二指腸や小腸に流入するため、 腸管粘膜からのセロトニンの急激な放出により、腹痛や下痢などの症状が引き起こされるものです。 セロトニンのもう一つの重要な役割として、神経終末に存在し、神経伝達物質としての作用があります。 鬱病では、神経終末からセロトニンなどの神経伝達物質の放出が減少していると考えられています。 現在、鬱病の治療に広く用いられている選択的セロトニン取り込み阻害薬は、 神経終末部位において放出されたセロトニンの神経終末への再取り込みを阻害し、神経間のセロトニン濃度を高め、抗欝作用を示すとされています。

脳の松果体ではセロトニンを合成するとともに、セロトニンからメラトニンを合成します。 この合成は多くの外的要因に影響を受け、とくに明暗により支配されます。 メラトニンの分泌は、暗い環境下では増加し、明るい環境下では減少するサーカディアンリズム(概日リズム)を示すことにより、 脈拍、体温、血圧を変動させ、身体機能の昼夜の調節を行っています。


■トリプトファンの経口摂取の効果と意義について

トリプトファンは、入手可能な最も信頼できる科学的エビデンスによって裏づけが行われている 米国のナチュラルメディシンデータベース(NMDB)に収載されている成分です。 NMDBによれば、月経前症候群(PMS)の治療、禁煙の補助に対して有効性レベル3「効くとは断言できないが、 効能の可能性が科学的に示唆されているレベル」と判断されています。 る不安注意欠陥多動性障害(ADHD)睡眠障害に対しては、「科学的なデータが不十分」とされています。

トリプトファンを含む健康食品は、不眠に悩む人や、時差ぼけの防止を目的とする健康食品として、非常に多くの米国人が利用していました。 しかし、1988年に起こった不幸な事件によって、安全性について見直される事態となりました。 この事件は、日本の企業が生産していたトリプトファンの飲用により、1500症例以上の好酸球増加・筋肉痛症候群(EMS)が発生し、37名が死亡したものです。 直後に食品医薬局(FDA)はトリプトファンを主成分とする製品について全てを回収するようにとの指示を出したため、さらなる被害者の増加は防止されました。 このときのトリプトファンは、遺伝子組み換え技術によってできた細菌株を大量に培養し生産されたものでした。 当初は製造過程で生じた不純物のうち、精製できずに製品にまで含まれた2種類の物質が原因と考えられていました。 しかし、詳細な検討の結果、1989年以前にも他社製品での類似の疾患が生じていること、 5-ヒドロキシトリプトファンの代謝障害によっても起こることなどが判明しました。 その結果、現在では偏った摂り過ぎが原因であることが判明しています。

トリプトファンは、植物性食品から動物性食品まで幅広く含まれ、通常のバランスの取れた食生活で十分に摂取できます。 食事以外にトリプトファンのサプリメントを摂取することは、生命に関わるリスクがあることを考慮する必要があるでしょう。 特に妊娠中、赤ちゃんに母乳を飲ませている女性、腎臓疾患、肝臓疾患、白血球関連疾患の人は、 すぐに摂取を中止することが勧められます。


■トリプトファンの副作用

トリプトファンの副作用としては、悪心、嘔吐、頭痛、ふらつき感、目のかすみ、運動失調、 ドライマウスなどが報告されています。 また、医薬品、ハーブ、サプリメントなどとの相互作用が報告されているので、安易にサプリメントとして飲用することは大変危険です。 特に医薬品では、選択的セロトニン再取り込み阻害薬三環系の抗鬱薬などと併用すると、 脳内のセロトニン濃度を高め過ぎてしまうため、心臓の異常、震え、発汗、不安感、眼震などの深刻な副作用をもたらす恐れがあります。 また、フェノチアジン系の抗精神薬と併用すると、可逆性の運動障害や パーキンソン病症候群の硬直が起こる場合があり、危険です。 さらに抗てんかん薬であるベンゾジアゼビン系薬などの鎮痛薬との併用では、相加作用が生じ、倦怠とウトウト状態を起こす可能性があります。 また、同様の作用をもたらすと考えられるハーブやサプリメントと相互作用を生じる可能性があります。 これらには エゾウコギカミツレ、カバ、 セイヨウオトギソウ(セント・ジョーンズ・ワート)メラトニンなどがあります。 トリプトファンは、食品中の必須アミノ酸であり、生体内で重要な働きを持ちますが、摂りすぎると大変危険なものとなります。 そういった意味で、栄養素を食品で摂取することの重要性を再認識させてくれる成分です。


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