グリシン

グリシン』はたんぱく質を構成するなかで最も単純なアミノ酸で、 肉類などの動物性食品に多く含まれています。 美容や健康維持などで選ばれるグリシンは、「充実した睡眠」を求める人からも注目されているアミノ酸です。

■グリシンの構造と食品での分布

ヒトでは、体内で必要なたんぱく質あるいは必須分子として、必要なアミノ酸のうち一部しか生合成できません。 ヒトが生合成できないアミノ酸を「必須アミノ酸」(ヒトでは9種類)と呼び、食事から摂取しなければなりません。 一方、生合成できるアミノ酸を「非必須アミノ酸」(ヒトでは11種類)と呼び、 『グリシン』はこの非必須アミノ酸に分類されます。必須アミノ酸も非必須アミノ酸も、 食事由来のたんぱく質が消化管でたんぱく質分解酵素により分解され、体内に吸収され、利用されます。 (もっとも最近では、アミノ酸がいくつか結合したままのペプチドでも吸収されることが知られています)。

グリシンは、1820年にHenri Braconnotによりゼラチン(コラーゲンを酸・アルカリ処理したもの)から単離されました。 グリシンは、たんぱく質を構成するなかでもっとも単純なアミノ酸で、不整炭素をもたないので、D,L体の区別もありません。 語源的には、グリシンの「グリ」は甘味を示すという意味を含んでいます。 食品学・調理学的において、グリシンは、甘味を示すアミノ酸として、えびや貝など魚介類の甘味として有名です。


食品中のグリシン含有量は、以下のようになります。

食品名 総グリシン(mg/100g)
牛肉 810~1400
鶏の皮 1700
車えび 2200
サザエ 1700
食品 遊離グリシン(mg/100g)
豚肉 0.7
鶏肉 0.3
醤油 184
魚醤 1000
わかめ(乾) 450

グリシンは、たんぱく質を構成するアミノ酸です。なかでも筋肉や皮膚を構成するコラーゲン分子の中に多く含まれ、 コラーゲンの3重螺旋構造中のアミノ酸のうち約3分の1がグリシンです。 すなわち、たんぱく質の構成アミノ酸として肉類など動物性食品に多く含まれているといえます。
牛肉(810~1400mg/100g)、鶏の皮(170mg/100g)、などに含まれています。また、車えび(2200mg/100g)、 サザエ(1700mg/100g)などにも含まれています。植物性食品には少ない傾向があります(数十~数百mg/100g程度)。 また、遊離のグリシンは、一部の食品を除いて少ないようです。


●グリシンの生体での働き

グリシンは2つの経路で生合成されます。1つは、解糖系から合成されるアミノ酸のセリンから合成されます。 この反応には、セリン・ヒドロキシメチルトランスフェラーゼが関与します。また、補酵素として葉酸(THF) が必要で、このとき、THFはセリンの炭素断片(CIユニット)を受け取り、N5N10メチレンTHFとなります。 2つめは、グリシンシンターゼ(逆反応の場合はグリシン切断酵素)により、CO2とNH4+から生合成されます。 この反応には、先ほどのN5・N10メチレンTHFが炭素原子を供与します。

このように、2つの生合成経路で合成されるグリシンですが、ヒトではグリシン要求量はかなり高いといわれています。 グリシンは非必須アミノ酸ですが、通常の食事からも摂取しています。おおよそ食事摂取量の10~50倍程度の グリシンが体内で盛んに生合成されています。
なぜ、グリシンはこのように体内の要求量が高いのでしょうか。グリシンは、細胞内たんぱく質や細胞外たんぱく質の 構成アミノ酸として作用するばかりではありません。グリシンは、核酸のプリン、胆汁酸、ヘムのポルフィリン、 高エネルギー物質のクレアチン、薬物・毒物の排出を促進するグルタチオン(γ-グルタミル・システィニル・グリシン) など、いくつかの生体内に必要な分子の生合成に関する必須な分子となります。 すなわち、グリシン分子そのものが生理作用を発揮するのではなく、グリシンが原料となったり、反応に関与したりして 合成される産物が、生体内で重要な働きを発揮します。

さらに、グリシン分子そのものは脳(神経)の化学信号の伝達にも関係しています。 すなわち、グリシンは神経伝達物質受容体チャネルに直接作用します。神経伝達物質受容体チャネルのうち、 アセチルコリン受容体チャネルスーパーファミリーに属するグリシン受容体チャネルと、 グルタミン酸受容体スーパーファミリーに属するN-メチル-D-アスパラギン酸(NMDA)型 グルタミン酸受容体チャネルに、グリシンは関与します。グリシンはグリシン受容体チャネルに作用し、 脊髄や脳幹部分の主要な抑制性の神経伝達物質として作用します。 一方、興奮性の神経伝達物質のグルタミン酸やアスパラギン酸によるNMDA型グルタミン酸受容体チャネルの活性化に、 グリシンは必要な物質として作用します。GABA(γ-アミノ酪酸)と異なり、 グリシンは血液-脳関門を通過できるので中枢で生合成されたもの以外に、抹消器官で合成されたり、 食事由来のグリシンも脳に移行し、神経伝達に作用します。

ところで、グリシンは医薬品の一成分としても使用されています。 アレルギー治療薬の「グリチルリチン・グリシン・システイン配合剤」にグリシンは20mg/ml含まれ、 5~60ml静注あるいは点滴静注されます。適応は、湿疹、皮膚炎、口内炎、薬疹、慢性肝疾患における肝機能改善です。 健康食品やサプリメントとして期待される作用ではなく、グリシンの薬物、毒物の排出促進を期待した使用と 考えられます。


■グリシンの経口摂取の効果と意義

前述したように、グリシンは生合成され、生成したグリシンは各組織に分布するため、 正常な人では栄養学的な欠乏性はありません。
一方、グリシン分解酵素の先天的な欠損により、体液中にグリシンの蓄積を起こして神経学的な症状を起こすこと が知られています。哺乳困難や無呼吸発作を起こし、重篤な例では死亡する神経学的疾患となります。 また、軽症型の場合は、精神遅滞を示します。このような症状は、前述の神経伝達物質受容体チャネルを介した グリシンの作用が関与しているのではないかと考えられます。

ヒトでの評価ですが、現時点で米国のナチュラルメディシン・データベース(NMCD)においてグリシンは レベル3で、「効くとは断言できないが、効能の可能性が科学的に示唆されている」と定義されています。 その作用とは、
①他の医薬品との併用による統合失調症の治療
②下腿潰瘍
③脳卒中の治療
です。また、記憶力強化、良性の前立腺肥大症やその他の用途に関しては、科学的データが不十分とされています。

健康食品やサプリメントとして期待される「睡眠の質の改善」や「作業効率向上」などの効果は、 いずれも論文レベルですので、科学的データは不十分といえます。 つまり、これらの効果はグリシンが神経の化学記号の伝達に関与するという事実と、いくつかの小規模なヒトでの 試験の結果があるのみです。また、「美肌効果」に関しては、肌を構成するたんぱく質の1つのコラーゲン分子中に、 グリシンが約1/3程度含まれているだけだとされています。


●グリシン摂取時の注意

グリシンは、一般的な非必須アミノ酸ですので、通常の適切な摂取では安全性に関する問題は生じませんが、 まれに、悪心・嘔吐・胃の不調がみられます。また、妊娠中や授乳中の女性は使用してはいけません。 グリシンは、「医薬品的効能効果を標榜しない限り医薬品と判断しない成分本質(原材料)リスト」 に含まれており、食品添加物として扱われ、調味料や強化材として使用されています。 アミノ酸の摂取に関しては、特定のアミノ酸の不足だけではなく過剰摂取によってもアミノ酸インバランスを 起こしてしまいます。意図しない摂取も考えられますから、やはり過剰摂取には注意が必要です。

また、統合失調症の治療薬クロザピンを用いている場合は、グリシンがクロザピンの効果を弱める恐れがあるので、 グリシンの摂取は避けてください。なお、このような相互作用が起こる理由については明らかになっていません。
いずれにせよ、消費者が最も期待する「睡眠の質の改善」「作業効率向上」「美肌効果」などに関する 信頼できるヒトでのデータは、十分ではありません。